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Mission

市川森一 古事記 天語り(あまがたり)

これから日本はどこへ行こうとしているのでしょうか?

 

私たち日本人はどんな理想の国を形成してきたでしょうか。

 

私たちは、いまも祖国を愛しているでしょか。

 

国家の軌道に過ちはなかったでしょうか。

 

​「古事記は、日本誕生の神話から出発し、国造りの理想を追い求めます。

自分たちはいかなる民族なのか?天皇の原点はどこにあるのか?

自分たちはどこから来て、どこへ行こうとしているのか?

「古事記」が求めたものは、そうした民族の原点さがしでした。あれから千三百年の時を経て、私たち日本人はどんな理想の国を形成してきたでしょうか。

私たちは、いまも日本人であることに誇りをもっているでしょうか。

これらの問いの答えを求めて、私たちはいま一度、いにしえの国造りの情熱に燃えた万葉人たちにならって、「古事記」の旅に出てみたいのです。

太古の神話と平城京の律令体制が対決する、時空を超えて繰り広げられる人間ドラマ。

 

「古事記」が語る伝承は、勅命であるにも関わらず、決して王権を賛美し、王権の歴史を正当化するという目的で編まれてはいません。むしろ、王権から阻害されたり、逆らったりして非業の最期を遂げた神々や英雄たちへの哀悼の意がこめられています。

 

そこが、「日本書紀」との決定的な分岐点になるところであり、単なる史書というだけでなく、文学書としても高く評価されている所以であります。かと言って、「古事記」は敗者の書でもありません。

 

「古事記」の神々や英雄たちは、どんなに虐げられても、殺されても、必ず、何度となく甦ってきます。「古事記」は、日本のすべての祭事の根本がそうであるように、死と再生を謳い上げるドラマなのです。

 

現代世界の若者に圧倒的に支持されて、日本の新しい文化の一つといわれているジャパニメーションは、正に「古事記」から受け継がれたファンタジーの世界観なのではないでしょうか。

 

日本人が世界に誇れる「日本神話」の復興を原動力に、日本中に元気を取りもどさせる演劇文化をめざします。「古事記」は死と再生のドラマ。輪廻転生と甦りが主題の歴史ロマン大作です。

 

「日本国」はいつ誕生したのか?

 

大唐の女帝・則天武后に、初めて「日本」という国号を認めさせたのは、大宝二年(702年)の遣唐使の使節団でした。私たちの日本国は、いつとも知れず漠然とできあがったわけではありません。古代の先人たちが、確固たる意思をもって、壮大なヴィジョンを描き、幾万人の夢見る力を結集して創出した、誇り高い、巨大な夢の結晶、それが日本国だったのです。

 

「倭」から「日本国」へ。この建国作業は、二つのプロジェクトで推進されました。民族を一つのまとまった共同体として「国家」たらしめる不可欠の条件。その一つは、「律令」。即ち、律(法)と令(税)の制定です。これは名高い「大宝律令」によって確立されました。そしていま一つ「国家になくてはならないものが、その国の履歴書ともいうべき、国土と民族の生い立ちを記した歴史書「国史」でした。

 

すべての人々が共有できる国史があってこそ、人々は、そのアイデンティティ(国史)のもとで、一つの国の国民としての自意識をもち得るのです。「貧困で滅んだ国はない。しかし、文化を失った国は滅亡する」という教訓どおり、一国のかたちを形成する上で、民族が共有する固有の「文化」はなくてはならないものでした。

 

国力とは、その国が内包するソフトパワー(文化力)によって計られるものです。「国史」こそが、その国の文化力の原点でもあったのです。そうした意志のもと、和銅四年(711年)の秋、遷都間もない平城京において、時の女帝元明天皇が国史の撰録を命じるのです。

 

勅命を受けたのは太安万侶。安麻呂は、語り部の稗田阿礼とその一族である俳優人の一団を平城京の東院玉殿に招集して、各地に伝承される民話や旧辞の編纂にとりかかりました。

 

こうして誕生したのが「古事記」です。

 

日本人として自国の皇祖皇宗の歴史を知る事。それは英国の歴史学者のアーノルドトインビーが「神話を教えなくなった民族は百年以内に必ず滅びている」と言った所以なのです。

 

あなたもいにしえの万葉人にならって、私と一緒に、時空を超えて、悠久の彼方へ、

日本人のルーツを探す壮大な「古事記」の旅に出ませんか?さぁ、ご一緒に!

 

市川森一「楽劇 古事記」企画書一部抜粋

市川森一古事記 2013年映人社出版より​​

© 2019 Atsuko Saitoh

いにしえの万葉へ 時空を超えた旅をご一緒に!

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